車と電車、父性と母性

「うなりをあげる自動車は、《サモトラケのニケ》よりも美しい」

車やオートバイがファルスの象徴であるという厳然たる事実は、イタリアのマリネッティによる「未来派宣言」(1909年)を持ち出すまでもなく自明のことだ。誰がなんといおうと、ドライブとは、地球の征服であり、自らの目的踏破のための手段であり、自らの肉体の拡張である。
一方、我らが電車は、母性の象徴である。公共性を含む車両は、空間の共有であり、アイデンティティの委託であり、胎内回帰である。

日本においてヤンキーの鉄ちゃんが一人として存在しないことと、現FIA会長のマックス=モズレーの父親が英ファシスト党の党首だったこと、この2つの事実からだけでも、この説の正しさは証明されるはずだ。

というわけで、今日も中央線にゆらゆらゆられながら、新宿に買い物へ行く。

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